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「ビルメンテナンス」というツールを駆使し、ユーザーの望むものを追求する総合管理の在り方。

2022/11/15 17:25

2022.11.15 17:25 更新

日本農業の危機に立ち向かうため、海外の農場に留学した異色の経歴

―― 先代であるお父様が設立された会社だということですが、幼少期から社長業を意識されていましたか。

渡守 考えていませんでした。実は母親の実家が農家だったんです。お爺さんは牛を飼っていて、そこによく遊びに行っていたので、「農業をするのもいいな」と思っていました。
幼い頃は特に意識していなかったのですが、中学校の高学年にもなり、どこへ進学するかを考えるにあたって「農業で何かできないか」と考えました。
そこで普通科の高校に進学し、その後、府立の農業大学校へ進学しました。

―― 農業を志すきっかけはお母様の影響ですか。

渡守 両親が離婚していて、都総合管理を興した父とはたまに食事をすることがある程度でした。母子家庭の環境で、母の実家で農業をやっている叔父たちと一緒に畑や田んぼの手伝いをしたり、農業に囲まれて育ちました。仔牛を売りに行ったこともあります(笑)。
そういった経験から、「おいしいものを食べたい、育ててみたい」と興味を持つに至り、そのまま大学卒業まで突っ走りました。

―― では、大学を出てからは農業関係に就職を?

渡守 いえ、実は卒業からそのまま農業への就職は考えていませんでした。ちょうどそのころ、「日本の農業が危ない」と言われていた時期でした。なので「日本の農業に違うエッセンスを取り入れなくては」と考え、スイスの農場に1年間実習プログラムで留学し、働いていました。同じプログラムでほかの国へ留学した農業実習生の仲間は、ほとんどが農業関係の職業に携わっています。

―― となると『ビルメンテナンス業』とは完全に違う道を進まれていますね。

渡守 そうなんです。そして帰国してから、祖父のところで農業を始めました。養鶏をスタートしたのですが……なんと。

―― なんと?

渡守 鶏舎で漏電が発生し、火災で全焼してしまいました。借金をして最低限の設備を導入し、これから出荷が始まるところまで漕ぎつけたのですが、全て失ってしまい、借金だけが残りました。
その後、大学の恩師から、在籍時の実績や留学の経験を買われて京都府の研究機関へ来ないかと誘われたのですが、そんな折に父から「手伝いに来い」と呼ばれました。
声を掛けていただいた研究所が遠く、母や兄妹の面倒をみなければならないという事情もあり、都総合管理に就職することを決めました。会社を継ぐのは当時の専務だと思っていたので、いわゆる二代目の「修行」としてではなく、いち従業員として警備、清掃、設備管理の現場にも入りましたし、営業などもやりました。会社にある文字どおり「全部の仕事」をやってきたと思います。

ユーザーの要望に自分たちが何を考え、応えていくべきなのか。
ビルメンテナンスという「ツール」を使って、環境をいかによくするかを追求する。

―― 都総合管理では、お寺や神社の警備を多く請け負っていると伺いましたが。

渡守 はい。営業をやっていたころに、津島の仏像盗難事件がありました。その事件をきっかけに危機感を持たれたとのことで、お声がけを頂いたのが始まりです。それまではお寺に泥棒が入るなんて、誰も思っていなかったので、お寺の事務局の方が宿直をしているだけだったんです。そして警備プランを作成してお持ちしたのですが、本山の会議でプレゼンテーションをさせていただき、警備を任せてもらうことになりました。

―― そこから広がっていったのですね。

渡守 他のお寺でも、警備を探されているときに住職たちのつながりで紹介をいただき、何かある際にお声を掛けていただけるようになりました。1件だけだったのが、人の繋がりの中でどんどん増えていき、今に至ります。むしろそちらは人間関係でしか増えていきません。

―― お寺や神社の仕事を多く受けるようになって、何か変わったことなどはありましたか。

渡守 いかに自分たちから「低コスト高パフォーマンス」になるプランを提案するのか意識するようになりました。人との繋がりで仕事を増やしていくことができるようになりましたが、利益率の低い仕事をたくさん受けるよりも、少ない金額でも利益率の高い仕事をやって行くほうが良いと思ったんです。それを実現するには、自分たちから提案していくしかありません。お寺や神社という、それぞれまったく異なるニーズをお持ちのお客様を相手に、ほとんどオーダーメイドで提案を重ねてきた経験が、「お客様のニーズに合わせたものを提案する」という姿勢となって集約されていきました。
その結果、「どれだけの時間現場にいるか」ではなく、例えば1時間かかっていた清掃を30分で完了できるような機材を入れるなどの合理化を行い、最終的にコストを含めたニーズを満たせるものを提案しています。そのために、現状を引き継ぐ形でまずは入らせていただき、現場を掌握して、分析し、どこまで削って問題が無いか検証を繰り返します。半年後にはお客様ごとのニーズに合わせたプランで再度提案しています。
業務のスリム化だけでなく、清掃・設備管理・警備とそれぞれの会社に個別発注になっている部分をまとめることで「総合管理」として一本化するなど、お客様の要望を実現するためにさまざまな工夫を行っています。
お寺の望むものも、神社が望むものも、商業施設の望むものも、それぞれ全然違うものです。それをビルメンテナンスというツールを使って、その環境をいかに良くするのかを考えていく。それを考えて提案して、バチッとハマった時は気持ちよくなってしまいます(笑)。

―― 仕様変更を前提とした提案をしていらっしゃると。

渡守 そうなります。はじめに自ら徹底的に合理化しスリム化していっていることをお客様にもご理解いただいているので、コストカットを望まれた際も、「ここをこれ以上削ると支障が出ます」といった説明をしても受け入れていただきやすい状態になっています。むしろこちらから「ここはもう必要ないので削りましょう」と提案するぐらいなので(笑)。

「総合管理」を文字通りの「総合プロデュース」へ

―― 10年後にはどんな仕事をしていたいと思いますか。

渡守 最近、グループ会社で京都市の公園の中にカフェをオープンしました。環境の意識を高めてもらうための取り組みをしているカフェですね。

―― なぜ飲食店を?

渡守 今度、京都府が新しくスタジアムを作る可能性があるのですが、そういう建物ができてくると、飲食店などが入っていきますよね。多角経営とはまた少し違うイメージになりますが、例えばひとつの建物で「飲食はうちがやっています」「警備もうちがやっています」という形になっていけば、ビルメンテナンスに軸足を置きながら、ユーザーニーズも知っていくことができる。飲食店にしたのは、私が農業をやっていたということもありますが。
今までは「ビルメンテナンス」の総合管理でしたが、そこに我々が直接、あるいは直接でなかったとしても、例えば飲食業とのタッグを組んでやって行くことで、総合管理のフィールドを広げていくことができないか、と考えています。

―― 今後は「総合プロデュース」になっていくと。

渡守 都総合管理は警備会社として創業しました。それがユーザーの要望に応えるために清掃を始めて、設備管理を始めて、植栽管理を始めて、総合管理を始めて……。そして私は、今までの業態からさらに別の業態を取り込んで、もう少し広いフィールドへと広げていきたいと思っています。最終的に建物を建てる際に、我々がプランニングに参加して「床はこうしませんか」「導線はこうしませんか」と、施主やデザイナーの側の意図を損なわない範囲で提案していけるようになればいいなと。そうなれば、例えば清掃作業ひとつとっても楽になるだけでなく、労働力そのものが少なくて済むようになる。そうなっていけば、ユーザーさんにとっても、私たちにとってもうれしい。関係者皆が望む形を実現できる10年後になっていかなければならないと思います。

都総合管理の看板は、「清水の舞台」の床板を使っている。60年に一度の張替えの際に一枚いただいたのだという。
「清水寺は北法相宗のお寺ですが、看板の文字は臨済宗大徳寺派の和尚様が書いて下さりました。どんなコラボやって笑っておられました」
翌日にマハラジャ祇園で開催された京都協会事務局主催のハロウィンパーティーでは、気合の入った仮装を披露し、なんと賞も受賞(写真左:渡守氏 同右:京都協会 藤井会長)
渡守氏も参加されたハロウィンパーティーについてはこちらをご覧ください
https://www.j-bma.or.jp/tidings/69724