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度重なる戦禍から何度も立ち上がった、創業95年企業の苦難と哲学。

2023/03/16 15:30

2023.3.16 15:30 更新

創業95年企業の苦難の歴史と、受け継がれてきたモノづくりの精神

―― このたびの社長就任、おめでとうございます。

寺本 ありがとうございます 。

―― 5代目社長に就任されましたが、まずは改めてテラモトのこれまでについてお聞かせください。

寺本 はい。株式会社テラモトは昭和2年に、寺本信一郎が大阪で創業しました。当時は大阪の商店に弟の寺本林吉とともに勤めていましたが、信一郎が商店から「ワイヤーマット」の販売権をもらったことをきっかけに独立して開業したのが、「寺本製作所」創業のきっかけです。その後弟の林吉も加わり、黎明期を兄弟二人で歩んできた会社です。

―― マットといえば、定番の「タンポポマット」がSNSで一躍話題になりましたね。

寺本 ありがとうございます。創業黎明期の弊社の初ヒット商品 「ワイヤーマット」は「タンポポマット」の原型だったんです。 これは当時、海外から輸入していたもので、丈夫さが人気となり、ベストセラー第一号となりました。
その後、ベストセラーになったワイヤーマットと、和歌山の特産品である棕櫚(シュロ)の繊維を組み合わせた「新案マット」を開発しました。
兄弟の出身地である和歌山は、原材料となる棕櫚の木が多く生息していて、この棕櫚の繊維が腐りにくく伸縮性が高いこともあって、加工品としてさまざまなものの原材料に使われていたんです。そこで創業者の寺本信一郎もこの棕櫚からモノ作りを開始しました。
創業当初から今に至る 「丈夫で長持ちする製品を」というモノづくりの精神のおかげで「ちょっと過剰といえるほどの頑丈さ」が好評を博し、なんとか軌道に乗せることができました。

―― そのまま順調に規模を拡大していったのでしょうか?

寺本 実はその直後に大きな転換期を迎えました。日中戦争が開戦したことにより、武器などの原料となる金属資源が不足してしまったのです。当時売り上げの大半を占めていたマットは金属を使っていましたので、看板製品を生産できなくなってしまいました。
金属が手に入らない状況下で、苦肉の策として、木材と繊維で作った玄関マット「愛国マット」を販売しました。木材と繊維なので、折り畳みできる「すのこ」のような製品です。

 

▲社内には新案マット(写真左)や愛国マット(写真右)の現物が展示されていた。
新案マットはワイヤーマットとともに、のちのベストセラー商品となる後継製品の原型となった。

―― ストレートな名称ですね。

寺本 そうですね(笑)。その後太平洋戦争がはじまり、さらに金属が不足する中、この愛国マットが日本軍や満州国向けに採用いただくことになり、マット以外にも製品を受注するようになったことで販路が広がりました……が、すぐに新たな危機に見舞われました。

―― 新たな危機ですか?

寺本 太平洋戦争末期の昭和20年3月13日の深夜、大阪大空襲によって、寺本製作所の工場は丸焦げになってしまいました。
先ほどお話ししたとおり、当時金属が使えなかったことで工場内には木材などの可燃物が多く、ほかの建物が鎮火していくなか、弊社工場だけが2日もの間燃え続けたそうです。
焼け跡に唯一残っていた金庫も、中に入っていた紙幣は灰になり、わずなか硬貨だけが焼け残っていました。住む場所さえ失い、すべてを失ってしまったのです。
現在も原材料の高騰などさまざまな危機はありますが、これらの経験を乗り越えてきたおかげで、弊社には「ここまで大変なことはさすがにもうないだろう」という認識が根付いているんです。苦境を乗り越えた経験が弊社の象徴となっています。

―― そこからどのようにして「テラモト」が再興していったのでしょうか。

寺本 太平洋戦争の終戦後、昭和26年2月3日に、「戦後には東京が復興し盛り上がっていく」と、創業者兄弟の弟、寺本林吉が親戚を頼って大阪から上京し、「寺本製作所」を開業しました。
同じ名前ですが、別法人として分かれて活動を開始しました。
その後、昭和51年に大阪・東京の寺本製作所が一つになり、「株式会社テラモト」が誕生しましたが、弊社が現在「大阪本社」と「東京本社」の二本社制を取っているのは、BCPを意識したものではなく、こうした過去の経緯から二本社制になっています。

―― 「ビルメンテナンス業」の概念が日本に持ち込まれたのは、東京の「寺本製作所」が立ち上がったそのころでしょうか。

寺本 はい。東京での立ち上げから翌年の昭和27年に戦後統治が終結して、GHQによって持ち込まれた「ビルメンテナンス」の概念が広がって業が誕生したと伺っています。
清掃が「ビジネス」になった当時、寺本製作所のモノづくりの信念「丈夫で長く使える」製品が、まさにビルメンテナンス事業者の皆様のニーズにうまく合致しました。
弊社には今に至るまで商品開発部のような部署がなく、会議もあまりしない会社です。なぜなら、製品が使われている現場へ行き、お客様からの様々な声を聴かせていただき、誠実に向き合い、いただいた声を営業と工場(職人)が反映したものをすぐに作る、という文化だからです。
業界の皆様に育てていただきながら、業界の発展とともに歩んでくることができました。

「誠実」「思いやり」。自分たちが「業界に何ができる?」かを考える。

―― それでは、5代目「テラモト」社長個人のお話をお伺いします。子供のころから会社を継ぐことは意識されていたのでしょうか?

寺本 実は先代会長の父から「会社に入れ」と言われたのは、社会に出てからの一度だけだったんです。子供のころは少年野球をやっていたので、プロ野球選手になりたいと考えていましたね(笑)。
野球やバスケットボール、ゴルフと学生時代は球技をやってきて、就職するときも「テラモトに入ろう」とは考えておらず、輸入車のディーラーに入社しました。

―― なぜ自動車のディーラーを選ばれたのでしょうか?

寺本 当時は自分がどれだけ社会に通用するか試してみたかったんです。それで、できるだけ高額で、売るのが難しいものを売ってみたいと思い、車に決めました。
輸入車のディーラーだと、店舗ごとに扱う車種が決まっているのですが、私が配属されたのは非常に幅広く取り扱う店舗で、扱う商品が広かったので、さまざまな仕事をされているお客様とお会いすることができ、物を売る大変さ、お客様と関係を築いていく大変さ、準備の大変さなどを、そこで学びました。
入社当時、周りの同期がぽつぽつ1台、2台と販売実績を作っていく中、私はなかなか販売に結び付けることができず、成績は下から数えた方が早いくらいでした。
何かないか、と悩んでいたある日、過去に自社から別のメーカーに乗り換えられたお客様のリストの存在に気が付きまして、もうこれしかないと思い、営業活動を始めたんです。
ツナギを着て、乗り換えたことなど素知らぬふりで年末に一件一件挨拶に回りました。きっと過去に自分の会社で何か嫌なことや、不満があったのだろうと思い、あくまで挨拶と、ついでにお客様の今の車を無料で洗車して回ったんです。

―― 思い切った営業活動ですね。

寺本 もう「売ろう」とは考えずに無心でやっていました。そうしたら、年が明けてしばらくしてから、洗車させていただいたお客様から、「今車を検討している友人がいる」とご紹介をいただくようになり、成約に結び付くようになっていきました。
その後もご紹介により順調に成績を伸ばしていき、社内で表彰されるなど、成功したのですが……「楽」をし始めるようになってしまいまして。

―― 「楽」ですか?

寺本 そのころ、当時の専務だった父から「仕事の手の抜き方を覚えたらダメだ。一回だけ言うぞ、うち(テラモト)に入らないか」と言われました。
あまり自覚はなかったのですが、その一言でハッとしまして。このままではまずい、と思い、テラモトに入社し、一からやり直すことにしたんです。
その当時、現在の会長と、専務もちょうどテラモトに入社した時期で、それぞれ別の拠点に配属され、1年かけて物流だったり、工場だったり、いろいろな部署を経験しました。
その後、営業に配属されたのですが、これがもう、車を売るよりも大変でした。
前職での「営業」は会社や輸入車そのもののブランド力が強かったことや、BtoCの営業からBtoBの営業となったことで、まったく違う環境での営業活動にずいぶん苦戦しました。

―― どのようにしてその環境の違いを乗り越えられたのでしょうか?

寺本 これまでお客様との間に会社が積み上げてきた信頼があったおかげで、比較的温かく迎え入れていただけたとは思います。やはり「誠実」であることが、人との関係の根本だと思います。目の前のお客様を大切にすること、そして身近な方の役に立てるように努力することで、お客様との関係が成り立つのだと思います。
とある全国チェーンの美容室を経営する方とお話しする機会があり、その方は美容師の地位向上に長年努めてこられた方だったのですが、その方から「テラモトはビルメンテナンス業界に何ができる?」と投げかけをいただいたことがありました。
環境美化用品メーカーのテラモトは「丈夫で長持ちする製品」を作ってきましたが、その言葉で「ビルメンテナンス業界のために何ができるだろう」と改めて考えるようになりました。
丈夫で長持ちする製品を作るのは前提として、テラモトの製品を使う皆様が、少しでも「使っていて気持ちの良い」ものを作らなければならないと考えるようになりました。その結果、例えばパネル付きのカートの開発など、お客様との対話を通じてテラモトにできることを考え、実践していくことで、信頼をいただけるようになりました。

―― 最後に、これからどのようなことに挑戦していきたいか、お聞かせください。

寺本 まずはテラモトを「知っていただきたい」と考えています。アジア圏をはじめとして海外でも、テラモトの製品や考え方を広めていきたいとは考えていますが、まだまだ国内でもテラモトのことを知ってもらえていないと思っています。道行く人に「テラモトって知ってますか?」と聞いても、知らないと思います。
展示会などの様々な場所にお邪魔して、我々を知って、興味を持っていただきたい。
そして、興味を持っていただいたお客様たちとパートナーシップを組んで、一緒に力を合わせて未来を目指したいと思っています。
多くの方と力を合わせることで、一社の力だけでは難しい「新しいこと」にも挑戦し、快適な環境や、社会に対してよりいっそう貢献してまいりたいと思います。


▲「環境美化用品メーカー」の考え方のもと、コンシューマー向け
製品をはじめ、ペット用品もラインナップされている。