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経験と知識を武器に未来を切り拓く

2024/04/09 13:00



――「日東商事」という会社名ですが、元々はビルメンテナンス会社ではなかったのですか?

山﨑 会社は当初、清掃用品や建物の備品等の販売を主な業務としていました。その後、お客さまと取引を続けていくうちに、清掃用品の使い方や効果的な作業方法についてのお問い合わせをいただくようになり、清掃業務そのものを受託するようになりました。現在はこうした清掃業務からさらに発展し、建物の管理を総合的に受託するようになっています。
販売の業務は現在も行っており、同じビルメンテナンス業者や施設のオーナー、学校などに販売をしております。実際に商品を自分達の業務で試してみて、良いと思ったものを提案できますので、その点は弊社の強みでもあります。

――小さいころから日東商事を継ぐことを意識されていましたか?

山﨑 小さい頃は、人前で発表をすることすら恥ずかしいと感じる位おとなしい子どもだったので、社長なんかできる訳ないと考えており、特に継ぐことを意識していませんでした。ただ、中高一貫教育の全寮制の学校に入学した事で大きく人生が変わったと感じております。当時は大変躾や上下関係が厳しく、寮の清掃が行き届いていない時などは長時間の正座、先輩の衣服の洗濯や消灯後のマッサージなどは当り前で、今ではコンプライアンスに引っかかるような事も少なからずありました。結局6年間寮生活を過ごしましたが、卒業する時には、どんなところでも生きていけるという自信が付き、その後の人間関係で困ることもなく、人間的に我慢強くタフになったと思います。
大学卒業後は清掃用具メーカーで営業として6年勤務しました。清掃用のケミカルの知識や仕事に関して多くのこと学ばせてもらい、今でもその時の経験が活きています。その後、日東商事に入社しますが、正直申しますとこの時点でもまだ自分自身が社長をする事に対して腹をくくれてなかったですね。

――日東商事に入社後はどのように仕事に取り組みましたか?

山﨑 メーカーで多少は勉強したつもりでしたが、実際入社してみると、業務の肝である人の管理や日常清掃のやり方など分からない事ばかりで、最初は苦労しました。ただ早く色々な仕事を覚えたかったので、現場仕事はもちろん、販売の仕事、施設警備、新しいシステムの導入など、とにかく色々な仕事に取り組みました。
中でも一番印象深いのは、30歳の頃に大規模ショッピングセンターの清掃業務を受託し、その立ち上げ業務に携わった時です。私はその物件の現場責任者として、現場の立ち上げと業務の指揮を執る役割でしたが、一つ一つの作業をどのようにすれば良いのか、シフトや人の段取りはどうするのかなど、本社やメーカーの指導を仰ぎながら、オープンさせるために必死に奔走した記憶があります。今思うと、当時の会社の力量に見合わない難度の高い業務だったかとは思いますが、この業務を仕上げた事で仕事に対する自信も付いたように思います。

――社長になってから変わりましたか?

山﨑 社長に就任してからも、現場を知る事は大切と思っておりますので、大きな現場の立ち上げや新しい技術を導入する時などには、現場に出て従業員と一緒に働く事は変わりませんが、最近はかなり少なくなりました。
ただ反対に対外的な活動をすることが年々増えています。色々な経営者や異業種の方と話したり、親睦を深めることで、経営のヒントを得たり自分の成長に繋がっていると感じております。まだまだ経営者として未熟さを感じる事ばかりですが、出来る限り基本に忠実に、「原理原則は何か」を考え、それに従って仕事をしております。仕事をしていく上で、単発的、突発的に物事をとらえるより、長期的に見ての効果や、お客さまにとって価値があるのかを考えて動くことを心がけています。

――仕事で大切にしている事は何ですか?

山﨑 お客様に誠実であることと、あらゆるニーズに応えることを大切にしています。お客様の困りごとにはビジネスチャンスがあります。リスクがある場合もありますが、分析を行い、戦略を考え進めています。大きな業務を進める際にはプレッシャーも多いですが、自分自身としてはこれまでの経験や知識を活かしながら進めていこうと思っております。

――今後会社をどうしていきたいですか?

山﨑 メインの仕事は総合ビルメンテナンス業であり、今後も事業の中心に据えていく予定ですが、時代に合わせ変化させる事も必要だと感じています。あわせて現場の力や対応力をもっと磨いていき、本質的に強くて良い会社にしていきたいと考えています。そうすることで企業価値を上げながら、働きやすい環境も整え、従業員が活き活きと働けるようにしていきたいと思っています。


「原理原則は何か」から考えることが大切と語る山﨑 真人氏

――県庁の受付、電話受付にも受託しているのですね?

山﨑 県庁の業務の一部をアウトソーシングする流れの中で受託しました。以前、県庁の警備業務を受託していて、その業務の中に夜間の電話対応があったため、アウトソーシングとなる際に声をかけて頂きました。業者選定はプロポーザル方式で、10社くらいが参加しており、その中で何とか受託できました。

――電話受付などを専門にしている企業がいる中でどのように受託されたのですか?

山﨑 プロポーザルの提案書作成は、経験として少しはありましたが、作成する力が全然足りなかったので、色々な参考書を読みながら熟考し作成しました。見た目も大事ですので、総務部に協力を仰ぎながら修正してもらいましたが、コンサルタントなどに頼まず、自社で協力しながら作成しました。今見てみると稚拙な部分も多くありますが、受注できて良かったです。

――県庁の仕事を受託された後は順調でしたか?

山﨑 民間企業に変わったあと、元々の県庁職員が行ってきた流れや習慣の変更に理解を得られないこともあり、しばらくはとても大変でした。
業務を行っていく中で少しずつ改善していきましたが、更にレベルを上げるため、電話応対技能検定、秘書検定などの資格取得の取り組みも行いました。そのお陰で、全体的な応対のスキルアップにつながり、従業員のモチベーションも上げる事ができ、取り組んで正解だったと思っています。

――今後、会社として教育へどう取り組んでいこうと思われていますか?

山﨑 お客様より信用してもらえる会社、価値のある会社にしていくために教育は必要不可欠です。ただ、まだまだ現在は不十分で取り組めていない部分がありますので、今後は自社ビルの建設を含め、教育を行う環境を充実させていきたいと思っています。

――植物園のショップやカフェも経営されているのですね?

山﨑 高知市にある「高知県立牧野植物園」内のミュージアムショップを運営しています。15年ほど営業する中で厳しい時期もありましたが、昨年NHK連続テレビ小説『らんまん』で牧野富太郎博士がモデルなったことから、現在は多くの方にご利用いただいています。看板、内装、照明、販売する商品にまでこだわりがあります。看板の文字は牧野富太郎博士が書いた文字を元に作成しました。


牧野ミュージアムショップ サクラ


看板は牧野富太郎博士が書いた文字を元に作成

また、清掃業務を受託しているビルオーナーさんからカフェの出店に関して依頼を受け、昨年11月高知市役所前のビルの1階に、カフェをオープンしました。飲食店経営の経験はもちろんなく、経営することは厳しいとは思いましたが、お世話になっているオーナーさんの要望でもあったので、受け入れて経営しています。
牧野植物園のショップ、カフェ共にボタニカルを意識した内装で統一しています。私は多趣味で色々なことに興味を持つ方ですが、今ではカフェ巡りも趣味になりました(笑)。カフェはコーヒーへのこだわりはもちろんのこと、販売しているチョコレート商品もおすすめです。実はこのチョコレートは香川のビルメンテナンス会社が作っています。カカオや製法など細部にこだわっており、非常においしいです。仕事のつながりがここにも活きています。


ボタニカルカフェ Konoha(コノハ)

――他にはどういった趣味がありますか?

山﨑 釣り、ゴルフ、マラソン、ボウリング、子どもがサッカーをやっているのでスポーツ観戦など、色々です。また、社内にもバドミントン、ゴルフ、マラソンサークルがあります。今年は高知龍馬マラソンに6名走りました。
私は元々運動不足解消のため、周囲を巻き込みながら、マラソンを始めました。今では東京に行った時、皇居の周辺も走ったりします。

――今後も新たな事に取り組む予定はありますか?

山﨑 しばらくは新事業をブラッシュアップしていく事に集中したいと考えております。ただ、今回オープンしたショップやカフェは、デザイナーの力は借りましたが、立ち上げから自社で運営したことで、様々な知見とご縁を得る事ができ、今後の事業展開において役に立つのではないかと感じています。自分たちで店舗の内装、商品企画など考えながら作り上げているので、可能性が広がりました。多岐にわたる業務の中でチャレンジを重ねながら進んでいきたいと思います。